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《黑部的太阳》封面图

黑部的太阳 (1968)

黒部の太陽

导演: 熊井启
类型: 剧情
地区: 日本
语言: 日语
片长:196分钟
上映时间:1968-03-01(日本)
别名:The Sands of Kurobe
豆瓣得分: 0.0
IMDb: tt0062798

剧情简介

  1968日本剧情片《黑部的太阳》由熊井启导演,石原裕次郎主演,影片讲述的是:
  映画『黒部の太陽』(くろべのたいよう)は、木本正次による小説、ならびにこれを原作とする日本映画。1968年公開。当時、世紀の難工事と言われた黒部ダム建設の苦闘を描いている。
  劇団民藝の全面協力による、三船プロダクションと石原プロモーションの共同制作。電力会社やその下請け・関連企業に大量のチケットを買ってもらい巨大な興収をあげた。いわゆる動員映画・前売券映画の先駆けとなった作品としても知られる。
  1962年に日活から独立した石原裕次郎は、五社協定の枠に苦しめられ、「自分で映画を作る」という当初の目標が揺らいでいた。1963年には独立第1弾として、堀江謙一をモデルとした『太平洋ひとりぼっち』が公開されたが、興行面では失敗に終わった。
  1964年、三船敏郎と石原裕次郎の2人が会見し、三船プロ・石原プロの共作で映画化すると発表した。しかし実現までには間隔が空いた。
  日活との問題に加え、当時、石原プロの元にはスタッフ・キャスティングに必要な人件費が500万円しか無かった。石原裕次郎はこの500万円を手に、劇団民藝の主宰者であり、俳優界の大御所である宇野重吉を訪ね、協力を依頼した。宇野は民藝として全面協力することを約束し、宇野を含めた民藝の所属俳優、スタッフ、必要な装置などを提供。以降、裕次郎は宇野を恩人として慕うようになった。
  1966年、再び三船と裕次郎が会見を開き、「毎日新聞」で連載されていた『黒部の太陽』を映画化すると発表した。莫大な資金が必要で、実際に出水事故も起こり、裕次郎ら10数名のスタッフが負傷するなど大掛かりな撮影となった。1年以上の撮影期間を経て、1968年2月に公開された。